プロフィール

至る現在の道のりを大まかに(随時修正)

プロフィール

生まれたのは1980年の3月。大阪府の池田市で生まれ育ちました。

予定日よりも50日早く生まれた事で、周りの友達よりも運動が出来ないことが何よりもコンプレックスだった記憶があります。

幼児洗礼のクリスチャンでもある。中学卒業までは基本日曜は教会に行っていたような・・・

小学校入学とともに広島へ。

何も知らされず、親の転勤で広島へ。広島の平和教育と、小学校の図書室に置いてある

ピカドンという映画の絵本が、強烈なトラウマに。

プロペラ機の音とノストラダムスの大予言に怯える少年時代のスタート地点は間違いなく広島にあった。

両親の教育方針にて広島にて合気道を習う。その稽古が毎週月曜日。

厳しい稽古が嫌で嫌で、毎週日曜日のサザエさんが流れるのがとても憂鬱だった。

ただ、この合気道により呼吸法を覚えたことが後に大きな意味を持つ。

小学3年に大阪に戻る。何よりも合気道に行かなくてよくなることが嬉しかった。

 

中学時代にようやくファミコン的なものを手に入れる

いま振り返っても不条理なほど、教育方針が厳しかったわが家は

基本的に禁止が多く、ゲーム、漫画、バラエティ、雑誌 などが

許されておらず、大ブームだったファミコンなんてもってのほか。

余りにも周囲と浮いた感じになってきて母がかわいそうに思ったのか、

中2の時にスーパーファミコンを手に入れる。

 

今までの禁止と抑圧でやり込みが爆発。

徹底的にのめり込む という原体験はここにあったように思う。

 

学ばない高校生活。しかし皆勤賞

学校自体それなりに楽しんでいたように思うが、教会の高校生会のボランティアで行っていた

ワークキャンプなどが何より充実していた。

大阪のあいりん地区での炊き出しや夜回り 教会のバザーでの出し物

教会の仲間のおかげで救われていた部分が大きかった。

受験の年に本来夏に行われていたバザーが急遽秋開催に変更になり、

今まではカキ氷をやっていれば良かった高校生会は、クレープをやることになり

どうすればいいのか道具は何を買えばいいのか、クレープ屋に話を聞きに行き

道具屋筋に必要なものを買いに行ったり。 勉強しろ! と今でも思う。

ただ、バザーでクレープを売って成功するビジョンを掲げ

そこから逆算して行動するという体験とその結果を経験したことが、

0を1にするという行動の大きな原動力にもなっている。

 

学ばないから、それなりの大学

結局、ポテンシャルだけでここまでやってきたがゆえに、

やりたいことや、自分がどうなりたいかという目標も課題も何もない。

とりあえず単位だけ取って遊んでいようとしか考えておらず、遊ぶ為のお金を作る手段として

ファミレスで働き始めた。

結局、大学時分も充実して バイト、サークル(ギター)、ボランティア、部活(拳法)

をストイックにこなし続け、卒業前にはそれぞれが履歴書に書けるレベルに昇華していた。

拳法部ではオモローな師範により、氣の手ほどきを受けアトピーが改善するミラクルが起きる。

ここで、小学生の時の合気道とのリンクが起き始める。

 

友人と共に説明会を聞くままに外食産業へ

共にファミレスでバイトをしていた友人とともに聞きに行った説明会。

お互いバイトも楽しんでいたので、そのまま外食産業に就職することに。

”できれば現住所”という希望虚しく、配属は横浜。人に強いという部分のみが大きく買われ

3年間でヘルプも含め関わった店舗は20店舗。それぞれに成果を残し、店長に。

店長になる前に先輩店長から個性心理学の一つである素質論を学ぶキッカケを頂く。

素質論を学んだことがのちの人間観や、自分自身の分析にも役だった。

素質論って凄いんです。

店長になってからはひたすら自分の浅はかさと向き合う日々。

ここでも、周りの皆さんに育ててもらいました。感謝。

店長になってから、上司の誘いでゴルフを始める

 

休日は打ちっ放し〜銭湯 がお決まりのコース。

打ち放題でひたすら練習していたら練習場で研修生と仲良くなり、

それから随分楽しい仲間ができた。

その友人に両親からの厳しいだけで救いのない教育の呪縛を解いてもらったように思う。

自分が厳しくされた分人にも厳しくしすぎていたわけですよね。

それに気づけただけでも大収穫!

そして、その仲間の中に不思議な方々が数名いらっしゃり

そんな方々に随分気に入られ、ヘンテコな事件にも巻き込まれ。

これはまた別の機会に書きます。

オーラとか、スピリチュアルとか、何言ってんだ?

というスタンスではあったけど、信じざるを得なくなり・・・

「君は結構特別。ゆくゆくその手の力で治せるようになると思う」

ある方から五鈷杵(ごこしょ)という法具を譲り受けることに。

https://ja.wikipedia.org/wiki/金剛杵

これがきっかけになったのかもしれない。

店長としてさらに様々な店舗を移動し、従業員の教育を重ね

外食産業=教育産業 だと確信。人を教え整える方向で先のキャリアを考え始める。

 

サラリーマンになってみよう

浅はかな思いつきの、この判断は失敗だった。何よりも、下地も何もない状態。

今まで、ポテンシャルとマンパワーだけでやってきた人間。

サラリーマン(営業)という世界ではかなり厳しく営業成績こそ良かったものの

上司やチームの人間関係でメンタルをかなりヤラレテしまう。

何より、パワハラまがいのすべての責任を負わされる構図が厳しかった〜

飲食業界しか生きる道はないものか?と考えていた時に東日本大震災が起こる。

有事の際に現場で助けられるようになりたい。

独立開業ができれば炊き出しなどで支援できるのでは?と思い、飲食店で独立ができる業態へ・・・・

パワハラのメンタルが癒える間も無く日々15時間労働。

休憩30分という日々を繰り返し、休みも少なく、精神が回復しないままになり

 

胃潰瘍発症

 

メンタルで人間は身体に異変を起こしてしまうのだなぁと自分を冷静に俯瞰していたように思う。

その時にかかりつけ医であった近所の先生が

「君は何をやるにも頑張りすぎるだろうからしばらく休んだほうがいいよ」

「何かを勉強することに時間を使ってみては?」

という提案で、高校卒業したら柔整の学校に行くことを希望していたことを思い出す。

 

生まれ変わったつもりで専門学校へ

もともと、外食→サラリーマン→外食 で終わりにしようとしていたけど、

ここからは番外編になるし、一度自分は死んだものとしてやり直そうと。

全ての雑念や誘惑を断ち切るように整骨院で仕事をしながら空いた時間で勉強

通勤時間に過去問を解き予習復習を徹底的にやる。

ポテンシャルだけでやってきた自分が店長時代に培った教育論で

自分自身をマネジメントしたらどうなるのかを試したい部分もあり、

3年間を学びに費やした結果 学年100人中7位で国試も合格。

この3年間で改めて努力と行動の大切さに気づくことができた。

 

スピリチュアルなの?

店長時代に「君は特別〜」と言われたことを発端に、

鬱を患った友人に付き添って気功治療をやっている方の所に行った時に

「氣のレベルが高い。あなたは私と同じことができるよ」

と言われたり、

「あなたは手の力がありますね」

「あなたは野口整体ですね」(野口整体は愉気法という手当てのような治療法が有名)

などと、その道(スピリチュアル)の一線で活躍している方々から

ぱっと見だったり、話したりでそう言われることが多くなり、

半分、そういうことなんだと思い始めている今日この頃。

ただ、根拠のないスピリチュアルというのも胡散臭いので、ある程度エビデンスが出るように、

手の力、氣の力を解明するべく徹底的に読書をすることに。

現時点でのその気づきは、呼吸=脳の状態=脳波=皮膚の状態=生体電位

ということで納得している。

これはまた、別の機会に書いて行こうと思う。

 

治療家としての独立を目指して

国家資格を取ったらとにかく1万人は臨床経験をするという目標もこの春には達成している。

さらに、自分の持ち味を生かすことができる施術方法として

クラニオセイクラルセラピーも学ぶことができた。

準備期間としても、少しステージを変えて様々な取り組みに時間を使って

伸び伸びと施術ができるように動き回っている。

 

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